その日、マーチングの練習を終えた、その足で父の下へ向かった。
年始に会ってから半年ほど、一度も顔を見ていなかった、というより用事に感けて、足が中々向いていなかったのだ。
車が無かった、ということが実質の要因であるが、それを良いことに気持ちが遠のいていたのだ。
今の生活に「俺はホンマにしあわせもんや」と会うたびに父は口にする。
一人暮らしは思った以上に寂しさを感じるものだろうに、そんなことは一言も口にはしない。
ただ、一緒にご飯を食べるときまって言う。
「やっぱりみんなで食べるメシが1番美味いな」
その言葉に日頃の思いの全てが詰まっているのだろう。
予定では5時には到着出来ると連絡してあった。
しかし、練習とその片付けなどを終えたのがその時間になってしまったため、父の携帯を鳴らした。
「そうか、そうか!気を付けて来いよ!」
待ちわびる気持ちがヒシヒシと伝わる声に、少々申し訳なさを感じながら、車を走らせる。
頃合い的に夕食時であることに気付き、食事へ行こうと再度電話をかける。
父宅のアパート下で車に乗せ、どこへ食べに行こうかの話になる。
あれやこれやで候補は何件か挙がったが、結局王将へ決定し、一路、馴染みの店へ車を走らせる。
到着した店は、昔、家族で幾度となく訪れた場所だ。
夕食どきにも関わらず、およそ五分で座敷に案内される。
早速メニューに手を伸ばし、何を食べようかと思案する。
「何にする?」
「俺は生と餃子2人前でエエわ」
「えっ!?他は?」
「それだけで十分や」
聞くと、最近は一度に多くの量を食べる事が難しくなってきているらしい。
正直、少し心配だった。
歳を重ねると、食が細くなるとはよく聞くが、他の要因があっての影響ならば看過することはできない。
「どっか、体、具合よくないとこでもあるんちゃうの?」
確認することでどんな事を突きつけられるか不安になりながらも、聞かずにはいられないかった。
「ある」
「えっ!?、ど、どこ?」
「ここや」
と言うと同時に人差し指をコメカミに当てる。
お得意のジョークである。
またか、と思いながら思わずツッコミを入れてしまう自分に少々の自己嫌悪を感じながら、続ける。
「じゃあ、俺が何個か頼むから、摘まみや」
「あ、うん」
ベルを鳴らし、程なく店員が姿を現す。
「はい!何にいたしましょう?」
この店の店員はいつも明るい。
教育が行き渡っている証拠だ。
「生ビールと、餃子四人前と、酢豚と…唐揚げ。あ、それと炒飯で」
食べれる算段を立ててのオーダーに、目の前の父が苦言を呈する。
「そんなにイケるんか?」
「食えるよ!」
確認されると、途端に不安になるのはなぜだろうか。
しかし、もう時すでに遅しだ。
人と話すことは、許されるなら、履歴書の趣味特技欄に書きたいぐらい愛することなのだが、いざ、父と対峙すると、きまって一瞬躊躇する。
それが、自分の中のどこから生まれ出でて来るものなのか、今だに見当がつかないでいる。
だが、それはすぐに解消される。
いつであれ、話始めればいくらでも話題は出て来るものだ。
仕事のこと、兄弟のこと、最近見た映画やドラマのこと。
話は尽きない。
そしてふと父の顔を見ると、何とも言えない温かいものが込み上げてくるのを体感する。
それが何か、いや、言葉に出来そうもない感情が胸をそっと撫でるような感覚を覚える自分が居た。
それに呼応するかのように、父もまたこちらを一瞬見、そしてどこかへ視線を移す。
それまで持っていた箸を、そっと置き、徐に言葉を発する。
「俺はホンマに幸せや」
これに続く言葉を自分は知っている。
兄弟四人が何度も聞いた言葉だからだ。
これまでに様々なことがあって迷惑かけたが、それでも、みんなのお陰で何の不自由もなく暮らせていること、そんな幸せをしみじみと口にするのだった。
しかし、その後に続いた言葉は、いつもと違った。
「四人とも五体満足で、大きな病気もせんと。大きく育ってくれて…それが一番の幸せや」
言葉が出なかった。
それまでの周りの喧騒が止んだと思えるような、父の言葉だけが、耳に響く。
自分の幸せじゃなく、子供の今を想う父の大きさを、初めて知った気がした。
幼い頃に感じた、途方もなく大きな壁のような背中。
決して越えられない絶対的な存在に、小さいながらも畏敬の念を感じたものだった。
あれから幾星霜を経て、目の前の父は年齢のせいもあり、体躯はやや細くなってはいる。
しかし、その奥にある親心はあの頃と全く変わっていないのだ。
些末なことにすぐとらわれる自分を恥じた。
しかし、次の瞬間、それを打ち消した。
足りないことを悔いるよりも、前を向き、いつでも笑顔でいることの方が、親はきっと喜んでくれるだろう。
産んでくれた恩は何にも代え難いものだが、せめて、今、ここで自分が生きていられることを感謝する。
次の瞬間の為に今を精一杯、生きる。
そしていつか、生まれてきて良かったと心の底から思う。
それが、本当の親孝行だと自分は確信する。
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