子どもには無限の可能性がある。
世間的にそう言われるが、自分もそう思う。
ただその可能性って、なんの?
とも思う。
なんかよくわからんが、そう言っておけば、子どもを全面的に肯定している感があって、大人として、ちょいエラ、みたいな。
しかし、この前、そんな考えを一気に吹き飛ばされる出来事が。
その日、リビングで本を読んでいた。
かなり前に買っていたけれど、中々読み進めず、時間がないことを理由にしてなのだが。
ずっと気になっていたから、たまたま空いたスキマ時間に、今や!、とその本を開いた。
それは、人生の師(勝手に仰いでいる)とも言うべき方の本で、やっと先を読めることに喜びを噛みしめながらの読書だった。
しばらく耽っていると、傍から子どもたちが呼ぶ声がする。
『パパ~』と息子。
『パパ~』と娘。
その繰り返しの合唱が繰り返された。
とにかく、没頭したくてスルーしていると、娘がダイニングのベンチに手を掛けて上がってきた。
とりあえず娘のなすがままにしていると、本をめくろうとしてくるではないか。
ちょっとイラッとして、さすがにスルーできず、娘の脇を抱えてすぐ傍へ下ろす。
と同時に倒れ込むかのように床にうつ伏せになり、そして、絶叫するかのように泣きじゃくるのだ。
ちょっとげんなりしつつも、読み進める。
娘はさらにボリュームを上げ、それに加えて手足をバタバタさせ始めた。
こうなると、もう、ちょっとやそっとでは、機嫌は直らない。
抱きかかえようが、
お菓子をあげようが、
娘の中のどこかにある[しゃーない、許してやるか]スイッチが押されるまで
我々はあやし続けるしかないのだ。
と、覚悟を決めたその時。
バタッ。
その横にいた息子が急に床へ倒れ込んだのだ。
そして、ゴロゴロと前後左右に、それこそ縦横無尽に転がるのだった。
それを見てか、娘が泣くのを止め、キャハハと笑う。
『パパ!○○ちゃん、笑ったよ~』
息子が満面でそう言うのだ。
彼は泣きじゃくる妹を、『泣くな』とか『よしよし』などということを一切せず、自分の体を使ってできる最大限の動きを見せることで、泣いている妹を笑顔にしようとしたのだ。
感動どころの話ではない。
心が洗われるほどの感激を覚えたのだ。
この、小さなカラダの中にある光るものを感じた。
それこそ、無限の可能性であり、光るダイヤモンドのような玉を。
仏教ではそれを、仏性という。
4歳にも満たない彼の中には『人を喜ばせたい』『人を救いたい』という途轍もない本能が備わっているのだ。
実はこのとき読んでいた本は、宗教の本。しかも仏教の。
この偶然とは思えない出来事をきっと、一生忘れないと思う。
彼が大きくなったとき、このことを伝えたい。
『キミに中には光る珠がある』
と。
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